クトゥルフ×落語

「神頼み」
(出囃子)
えー、いっぱいのお運び、何よりでございます。
われわれ落語家にとってもお客様がこうして寄席に来て下さるのはありがたいことでございまして。
かの三波春夫さんもおっしゃっておられました。「お客様は神様です」ありがたやありがたや。さっき楽屋であたしたちが準備しているのをみて寄席の社長もおっしゃっておられました。「お前達は貧乏神みたいだ」ああ、くちおしやくちおしや。
しかし、こうして眺めてみると、まるで子供の神様、座敷童のようなかわいいお子さんがおられるかと思えば、神様どころかもうまもなく神様に会えそうなお歳の方までいらっしゃる。客席には様々な神様がおられるようで。
様々な神様がいるといえば日本人ほど色々な神様を信じておられる民族も珍しいようでして、元旦になると神社へ行って初詣、そして二月になるとキリスト教にちなんだバレンタイン、盆が来るとご先祖様を迎えて、十月になると八百万の神が出雲に集まり、大晦日にはお寺さんで除夜の鐘を突く、とまあ節操がないことこの上ない。さらに初詣をみてみても、その年によって色々お参りするところが変わります。去年は厄年だから厄除大師様へ詣でたが、今年は嫁が欲しいから縁結びの大神宮様へお参りだ、などと行った具合。下手すると、来年は嫁との子供が欲しいので水天宮様へお参りするんだ、何て来年の予定まで決まっている。まあこうして色々な神様を拝めるのは今も昔も変わらないようで−

八「ご隠居さん、明けましておめでとうございます。あれ、でてこねぇな。誰もいねぇのかな。ご隠居さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。でねぇな、おめでとうございます。おめでと〜う、明けたって言ってんだろこの野郎」
ご隠居「なんだいなんだい八っつあん、人の家の前で元旦からこの野郎だなんて物騒だね」
八「あ、ご隠居さん、どうも明けましておめでとうございます、いや年始参りにご隠居さんの所へ伺ったら誰も出てこないもんだから、もしかしてくたばってしまったかと思って脅せば甦って来るんじゃないかと思ってね」
ご隠居「挨拶と一緒にろくでもないこと言うんじゃないよ、はいはい、明けましておめでとうございます。あたしはね、初詣に神田の明神様へ行ってきたんだ、その帰りだよ。お前さん、もう初詣には行ったのかい」
八「へっ、初詣なんてあんなばかばかしいものあっしはもう止めたんでさぁ」
ご隠居「お前さんばかばかしいって年の初めに神様を敬って願掛けをする。一年の初めの大切な用事じゃないかい」
八「いや、一昨年に鉋で柱削っているときにささくれが指に刺さって膿んだので、去年はとげぬき地蔵に初詣して、とげがささりませんように、って願掛けしたら三が日明けてから仕事始めに柱に釘を打とうとしたら、金槌で釘の代わりに手を打って大けがをした。あの時にもう神様に初詣なんてしねぇ、って俺は思ったね」
ご隠居「そんなこと言ってるから罰が当たったんだよ。今からでもちゃんとお参りにいって初詣をしてきな。そんな了見じゃ今年一年ろくな目に合わないよ」
八「じゃあご隠居さん、伺いますがね。毎年毎年初詣して本当にいいことがありましたか」
ご隠居「なんだねこの人は藪から棒に。あったとも、あああった」
八「本当に」
ご隠居「本当だよ」
八「神様に誓って」
ご隠居「お前さん神様を信用しないんじゃなかったのかい」
八「口がすべった。あっしが言いたいのはそういうことじゃなくて、初詣しても御利益なんかないんじゃないですか、って言いてぇんですよ」
ご隠居「何を言ってるんだい。相手は神様だよ。ちゃーんとあたしらのことをみているに違いないよ」
八「ふーん」
ご隠居「なんだい、ふーんってのは」
八「ご隠居さん、神田明神へお参りしてきたんですよね。だから帰りがおそくなった」
ご隠居「そうだよ。さすがは明神様だ。元旦からすごい人だったよ。御利益があるんだねぇ」
八「それですよご隠居さん。そんだけすごい人がお参りしたら、いくら明神様が神様だからって全部の面倒は見切れないんじゃないですかね」
ご隠居「いやいや神様にはそんなことはないよ」
八「そうですかねぇ。例えばご隠居さんの所にもあっしみたいに年始参りに来る人がいるんじゃないかと思うんですが、それが明神様にお参りするぐらいの人が来たら覚えきれねぇんじゃねぇですかい」
ご隠居「いやいやあたしみたいな人間と神様を一緒にしちゃだめだよ。神様にそんな手落ちがあるわけがないだろう」
八「本当に」
ご隠居「本当だよ」
八「神様に誓って」
ご隠居「またそれかい、ややこしくなってきたねぇ。じゃあお前さんに聞くけど、新年早々から神様に初詣しないでどうするつもりなんだい」
八「よくぞ聞いてくれました。あっしは今年から神様じゃなくて閻魔様を詣でることにしたんでさぁ」
ご隠居「閻魔様、どういうことだい」
八「あっしは考えたんでさぁ。神様に詣でても、こう人が多くちゃあ、いちいち面倒はみきれねぇ。だから金槌で手を打ったりしたんだ。だったら誰も詣でていない閻魔様はどうだろう。面倒みてくれるかどうか分からない極楽の神様仏様よりも、むしろ亡者を苦しめている閻魔様を詣でれば、閻魔様もあっしの事を覚えてなんとかしてくれるんじゃないかってね」
ご隠居「お前にしてはよく考えたねぇ。面白そうだからもう少し伺いましょうか。んで閻魔様を詣でるってどこへ行くんだい。深川の閻魔堂かい」
八「いやいやいや、あっしも最初はそう考えたんでさぁ。けどあそこも詣でる人はいっぱいいる。どうせなら人と違う詣で方をすれば閻魔様も覚えてくれると思ってね。こうするんでさぁ。まずそこいらの地べたを見る」
ご隠居「おいなんで地べたなんだい」
八「地獄ってのは地の底にあるのが昔からの相場って決まっているでしょ。だから地べたを見るんですよ、ご隠居さん。こうじっと見つめて、腕まくりをしてから」
ご隠居「腕まくりをしてから」
八「こう拝むんでさぁ「やい、閻魔、てめぇの事などでぇきれぇだ」」
ご隠居「お前それが詣でる人の態度かい」
八「分かりませんかねぇ。ご隠居さん、近所に住んでる人がいたとしますよ。何でもない普通の人と、ご隠居さんの悪口ばかり言ってる人、どっちに住んでてもらいたいですかい」
ご隠居「そりゃ何でもない人に決まってるよ。誰だって自分の悪口ばかり言う人なんかに近所に住んでもらいたくない」
八「閻魔様のお住まいはどこですかね」
ご隠居「そりゃ地獄だ」
八「そう考えりゃ後は分かるでしょう。閻魔様だって悪口ばっか言ってる人なんかに地獄に来てもらって寝食を共にしたいなんて思わねぇ。だから悪口いって嫌われれば、あっしは地獄へ行かなくてすむんですよ」
ご隠居「そういうもんかい」
八「そういうもんですよ。あとは普段歩いているときからもこうして地べたににらみをきかせればより嫌われるって寸法で。こう地べたをみてあるけば・・・いてててて」
ご隠居「あーあー、下ばっか見て歩いているから垣根に頭ぶつけちまったよ。しょうがいないねぇ。こうして見てるのもかわいそうだ。よし八っつあん。お前さん、これから言うことを誰にも言わないと約束できるかい」
八「なんですかいご隠居さん。あっしは御利益があるかどうかわからない神様を詣でるなんて金輪際ごめんだよ。閻魔様に睨みきかせて頭ぶつけた方がまだいいやい」
ご隠居「お前さん、あたしはね、神田明神よりも古い古い神様を信じているんだ。だからこの歳まで無事に過ごせてきたんだよ」
八「ご隠居さん、そんなあっしの為に口からでまかせを言わなくたっていいんだよ。そもそも証拠がねぇじゃねぇか」
ご隠居「お前さん、あたしの顔をよく見てごらん。人とはどこか違わないかい」
八「そういえば前々から目が大きくて、離れていて、こうご隠居さんの前じゃ言えなかったけど、魚みてぇな顔してるなぁと」
ご隠居「これはねぇ、ご先祖さまがその古い神様を奉っていた証なんだよ。だからあたしもこんな魚みてぇな顔なんだよ。お前さんにもこの古い神様の事を教えてやるから、試しに拝んでみたらどうだい」
八「その顔でせまられると、断れやしません。分かりました、伺いますぜ」
ご隠居「まずは神様の名前からだ、くとるぅ様という」
八「ずいぶん脂ぎった神様ですね」
ご隠居「どういうことだい」
八「だって太る様って」
ご隠居「ちがうよ、くとるぅ様だ。海に眠っている蛸に似た神様で奉る時は蛸を墨で真っ黒にしてそれを拝むんだ」
八「眠っている神様はなんかいやだねぇ。他にはいないんですかい」
ご隠居「じゃあ海の神様が他にもいるからどうだい。あたしの氏神様でだごん様っていうんだってお前なに酢蛸を墨につけてるんだよ」
八「だってたこ様っていうから蛸の神様なら酢蛸がいるだろうと思って」
ご隠居「たこ様じゃないよ、だごん様。魚の姿をした海の神様だ。この神様を奉っている人達は魚みたいな顔になる」
八「あっしはご隠居さんみたいな顔にはなりたかないね。他にはないんですかい」
ご隠居「顔がいい神様ならにゃるらとてっぷ様というのがいる。千の顔を持つ神様と言われていて話もわかる」
八「ずいぶん痛そうな神様ですね」
ご隠居「なんだい痛そうって」
八「やたらと湿布様でしょう。そんなに湿布はるぐらいならさぞ大けがをしたんだろうって」
ご隠居「にゃるらとてっぷ様だよ。たまに大黒様みたいな黒い顔をして現れる事もある」
八「あっし、それ一昨日見ましたよ。やたらと湿布様。全身真っ黒で大根かついでた」
ご隠居「そりゃ畑で大根掘ってきた隣の熊さんだ。泥だらけになった人を間違えて拝んだりすると困るから違う神様にしよう。そうだ、名前の無い神様なんてどうだい。はすた様っていうんだが」
八「肥後のやつが辛くて、あっしは酒のあてによく食べますよその神様」
ご隠居「神様が食べられる分けないだろう。今度は何と勘違いしたんだい」
八「だって蓮た様って」
ご隠居「そりゃ蓮根だろ。あたしがいってるのははすた様。空の神様だ。ああ、こうして喋っている間に夜になっちまったねぇ。お前さん、家で一晩じっくり考えて明日どの神様を詣でるか決めてきな。じゃあ、また明日」
かくして八っつあんは帰りの道すがらでどの神様を詣でるか、ああでもない、こうでもないと考えているうちに家に戻った。
八「ただいまー」
奥から妻がお辞儀して「あなた、お帰りなさい」と言ってから顔を上げたら八っつあんが一言。
「ご隠居さん、うちのかかぁ、だごん様を信じてたんだ」
                          (出囃子)テケリリ テケリリ

「とまあこういう古い落語ですが、どうも神様の名前がよくないらしくて長いこと禁演落語として落語芸術協会副会長のあたしが禁じてきたのですが、本日は探索者様に敬意を表して久々に語らせて頂きました」

 禁演落語「神頼み」を語った後にこう告げたのは、目が大きく、まるで魚のようにも見える落語芸術協会副会長 三遊亭小遊三その人でありました。

(この話を最後まで読んだ者は1/1D6+1の正気度を喪失する。〈クトゥルフ神話〉が1D6ポイント増える)