バットマン:キリングジョーク感想 光の橋を渡ったのは誰なのか?(

バットマン;キリングジョークを観ました。素晴らしい出来で感動しまくりました。

ただ一点気になる所があったのですよ。一応原作も読んでいる訳なのですが、原作から明らかに改変した所があるのです。

ちなみに原作はこちらです。

そこでその気になったポイントを自分なりに解釈した感想をネタバレありで書きたいと思います。
勿論自分の解釈が正解というわけではないと思うので、出来れば原作を読んだ他の方の意見も聞きたいところです。
 そういう訳ですのでネタバレ防止の為に行間を空けます。


































という訳で感想開始。
このアニメ、何がすごいって、

「ただ原作を再現するだけではなく、原作で拾いきれなかったキャラクター、バットガールにスポットを当てることにより
「過去の名作の再現」ではなく、「現代までを含めたバットマンの名作」としてアニメ化した」

事にあると思うのですよ。

本編はエピソードが前半と後半に別れたような構成となっており、前半がオリジナルのバットガール引退エピソード、そして後半がキリングジョークとなっています。

前半では正義の味方であった筈のバットガールが自分の中にもヴィランと同じ闇が心の底に潜んでいた事に気づき引退するまで、ここにR−15ならではのバットマンとの関係*1を入れた事でバットガールに感情移入できる。

そして後半は原作通りバーバラが撃たれて半身不随になるとこから始まります。ただ前半でバットガールの葛藤を描写していたので、原作知っていても思ったよりショックを受けたなぁ。

んでここからが一番語りたい原作改変のシーンなのですが、エンディングでジョーカーが件のジョークをかました後、バットマンと二人で笑い合う所までは一緒なのですが、その後二人の足下にカットが飛んだ後、そのままクレジットに入るのです。

そう、原作にあった
「地面に一瞬光の帯が差し、消える」というあのカットが丸々改変されているのですよ!
あの光の帯こそ、ジョーカーが例えていた「隙間を渡る為の光の橋」であり、最後バットマンが差し伸べた救済の手を
「ジョーカーは渡ったのかもしれないし、渡っていないのかも知れない」
という問いかけを読者に委ねて終わるのです。

勿論現代は21世紀であり、1985年のキリングジョーク発表後もバットマンとジョーカーは延々戦い続けているという事を自分達は知っています。
そう考えると、今、光の帯の描写を入れるのはその後の展開から考えても無意味なのかも知れません。
では光の橋は消えてしまったのか?というとここからがこのアニメの凄い所だったのです。
クレジットが終わった後半身不随になり車椅子生活をしているバーバラが映し出されます。
笑顔を取り戻し、明るい彼女は最後に暗い部屋に閉じこもります。
すると無数のモニタの光が彼女を包み込み、バットマンの協力者オラクルとなって活動を開始する所で本当に終わります。

このバーバラを包み込んだ無数の光を自分は
「現代のキリングジョークが示した光の橋」と考えています。
バットガールを引退し、半身不随になった彼女はモニターという光の橋を渡って、コミックヒーローの側へ戻ってきたのです。
この作品では「ジョーカーが戻ってきたのかどうか」という問いかけを放棄した代わりに、「光の橋を渡ったバーバラ」を示しているのです。
しかも、一見希望溢れるラストに見えますが、前半に示されたようにバーバラの中にもヴィランと同じ心の闇があることを知ってしまった今では、モニターという希望の橋を渡っている彼女にも「やがて何かあるのでは?」と考えてしまいます。
まさにジョーカーがジョークで語っていた通り、「希望の橋は渡ろうとすると消えてしまうかも知れない」ものかも知れないのです。

とにかく観て感動しまくったのでつい書いてしまいましたけど、これが正解かどうか分かりません。
できれば原作既読でアニメ版キリングジョークを観た方の意見も聞きたい所です。

*1:しかし、例のシーン観て思ったけどホントにどこでもガーゴイルあるよねあの街w でもあのシーンではガーゴイルがバーバラの心の中に潜んでいたものを現してるように見えるのでそれはそれでよし。