いわゆるルーラーシーンについて。

今日のテーマはオープニングにルーラーシーンを配置するときに何に注意するか。

 考えてみると、確か4年前ぐらいに初めてオープニングフェイズの最初にルーラーシーンとしてクライマックスのシーンを先取りして配置するのを実地した。

 それからオープニングにルーラーシーンを配置するのに様々な工夫をして4年近く経っている。
今ではこんな事は当たり前になっている。

元々俺がルーラーシーンをオープニングフェイズに配置する理由は三つあって、
①シナリオの背景の補助説明。
②そこに置くことによって「面白さ」を発生させる。
③シナリオの時間の流れとして最初に配置したほうが良い。
となる。

①はシナリオで描写しきれないことを説明するためで、これだけでは配置する理由は弱い。
③は例えばキャストが絡めない事件の発端の描写などを行う場合。発端なのでオープニングになる。人間は物事を順序立てて説明したほうが理解しやすい。「描写」という情報も発端から描写したほうが理解しやすいのでオープニングになる。これはやむなくやっている場合が多いが配置する理由としてはそれほど強くない。
オープニングに配置するのは②の理由によるところが最も大きい。

例えば、前述したシナリオだと
「クライマックスにイヌのキャストがビルから飛び降りて自殺するシーン」
がオープニングに入る。当然PLは理由が分からずにいる。
ただ、
「オープニングにクライマックスでキャストが自殺するシーンが入るのは初めてだ。このシナリオはきっと面白い!」
と考えると思ってオープニングに挿入した。
そしてクライマックスで
「ゲストが自分に<死の舞踏>をかけてビルから飛び降りて自殺する。その時にイヌのキャストに<神出鬼没>をかけて入れ替わった。」という真相がわかる。
人間は
「全く関係ない事柄が繋がった時に「面白い!」と感じる」ように出来ている。
この場合、本来は
「ゲストが自分に<死の舞踏>をかけてビルから飛び降りて自殺する。その時にイヌのキャストに<神出鬼没>をかけて入れ替わった。」
                  ↓
「クライマックスにイヌのキャストがビルから飛び降りて自殺するシーン」
と順序立てて描写するのを、あえて描写の順序を入れ替えて、なおかつ最後の描写をクライマックスから離れたオープニングに配置することで「全く関係ない事柄」に見せかけたのだ。

ここまでシナリオが「面白く」なるのでルーラーシーンを最初に配置した。
こういう理由があるので行っていたのである。

さて、ここからが本題。
こういう風に順序を入れ替えるだけで面白さが発生したのも今は昔。
こういうシナリオが増えた結果、今では順序を変えるだけでは面白くなくなってしまった。
見慣れれば人間は慣れる。
「今ではこういう風に順序をただ入れ替えて行ったルーラーシーンが最早見慣れたPLにとっては、①ぐらいにしか感じなくなっているのではないだろうか?」

そして、①だけの理由で行われているルーラーシーンは、PLにとっては「ただの説明」や「分からない描写」以外の何者でもなく、面白いと感じられないものになってるのではないか?

更に、気がつくとこの手法に慣れきって①だけの理由で*1オープニングにルーラーシーンを入れてるのではないか?

ということである。特に最後のは慢心からくる自己満足なので本当に気をつけないといけない。

この手法もそろそろよくチェックして行う必要があると思うが皆様はどう思われるか?
意見求む。

*1:しかもシナリオを書いている人間は②のつもりで

燃えつきろ!地球!!

ウルトラマンマックスにまたいいカンジのバカ話がやってきたよ!
モエタランガ超カッコイイよ!
喋る台詞が
「肉体という牢獄の中で人類の滅亡するさまをみるがいい。ウルトラマンマックス。」ちょwww何様www

マックスはこういうのがあるから見逃せない。