ギミックやアドリブに頼らなくてもPLを驚かす方法はいくらでもある。

慶次郎縁側日記

元々、好きなドラマの基準として、「思わぬ視点や描写」。

これが好きでたまらないのですが、その点、このドラマは毎週奥深いものを見せてくれる。

先週は不遇な境遇に陥っている元女房を救おうとろくでもない男と縁をきらせたら、

その女は男の金をくすねて色宿を経営しはじめ、

「お前がそんな女だったとは知らなかったぜ。」といわれると

「あんただってあたしなんか愛してなかった。あんたは最初から不幸な境遇でもけなげにがんばる「きれいなもの」を見たかっただけなんだろう。」
と言い返し、男も

「お前だって男に本当に惚れたことがあるのかよ。」

と言って去っていく。

これ実は「人間は常になにかに憧れているだけで、実は誰も「恋愛」はしていないんじゃないか?」
という話をさらっとやっているんだよね。見ていて背中がゾクゾクした。

今週もまたすごくて、争いごとが嫌で他人の顔を伺っているうちに不始末を押し付けられて
江戸へ流れてきた浪人が富くじの抽選にいくときだけは血がたぎるといって小料理屋の女中と同棲しながら破滅して病に倒れる話なんですが、すごいのは病を押して年末の富くじの抽選にたどり着いた後、
当選前の富くじもった連中が全員興奮するのを見て
「これだ…この雰囲気が一番好きだ。ここにいる連中は今、全員が自分のくじが当たると信じている。ここには今当たりくじしかないんだ…。」

この瞬間、男が求めてやまなかったものは富くじが与えてくれるスリルではない。
人の間で騒動が絶えないのはつまるところ「人によって考えや立場が違うから」。
この一点に尽きるといってもいいだろう。
しかし、富くじが当たるかどうかは立場も能力も関係ない。純粋な運だけであり、だからくじは平等である。
そして、当選の発表がなされるまでは全員が「自分のくじは当たる」という同じ意思を持っている。
つまり、争いごとを嫌う男が本当に求めた「争いのない楽園」が「富くじの当選会場」にあったと示唆している。

これも見ていて水をブッかけられたような驚きがあった。
誰が今まで「楽園」=「くじの抽選会場」なんていう視点を持っていたのだろうか?!

こういうのを見ていると、例えばTRPGのシナリオを作るときもギミックやとっさのアドリブにこってPLを驚かすだけではなく、シナリオに新たな視点を盛り込むだけで驚きは与えられると勇気づけられる。

最も、新しい分、PLに確実にそれが伝わるように腐心しなければならないけどね。